〜プロローグ〜


その男は音もなくその部屋に現れた。
窓から注ぐ月の光に照らされ、男の姿がうっすらと浮かび上がる。

黒。

周りの闇と同じ色。男の服装はズボンからシャツ、そして上着からグローブまで全部が黒ずくめだった。
男は部屋の中を軽く見回すと目当ての「モノ」が無いことを確認し、再び音もなく、静かに窓から外へと抜けていった。



「…時が来た。と言うのだな?」

「そうだ。我らが望み、待ちこがれた時が来たのだ」

「再びかつてのような世が来るというのか・・・クックックッ・・・」

「逸るな。時間は十分にある。焦れる事はあるまい」

「ああ、そうだな、そうだ・・・。」

「まずは、宴と行くか。・・・いや、この際前奏曲、とでも言うべきだろうか」

「前奏曲、成る程。相応だな。さしずめ、ラストは鎮魂歌、か。」

「適切だろう?そう、全てが終わる、この宴にはな・・・」

「そうだな、なら、それなりの演出もまた・・・」

「必要だな・・・」




緊迫した空気、張りつめた緊張。
一大事だ。こんなこと、前例もない。
「何としてでも見つけだし、取り返せ!!この際だ、小五月蠅い自警団にも応援要請を怠るな!!」
黒いローブの中年男性が指示を出し、右へ左へと同じく制服姿の人間達が動き回っている。
「まだそう遠くには行っていないはずだ!!『宝玉』を取り返すんだ!!」
大陸シンクレルの首都ボウスシェイバーにある『ギルド』本部では、今前代未聞の緊急事態が起こっていた。


「『宝玉』が奪われたと?」
「賊の仕業と?」
「・・・は。」
ギルド本部最上階。黒いローブ姿の老人達が円卓を囲み腰を下ろしている。
そしてその後ろに先ほどの中年男性がやや緊張した面持ちで立ちすくんでいた。
「古代の大いなる遺産、神々の知恵と知識の結晶。」
「いまだ我々とてその中の『知識』は半分も解読できておらぬというのに」
「何故、盗んだ?凡夫にとってあれはただの石ころ・・・」
「以前に、問題はこうもあつさりと盗まれた事・・・」
「も、申し訳有りません・・・!!」
「恐るるな。」
「賊がそれほどの手練れと言うこと。」
「我らがギルド本部から堂々と盗み出したのだからな。」
「だが・・・」
その言葉を皮切りに、老人達は一斉に中年の方に振り向く。
「絶対に取り返せ。」
「賞金を掛けろ。金額は任せる。」
「先人の偉大なる遺産を。」
「みすみす逃す手はない」
「は、・・・・はっ!重々承知いたしました!!」
男は慌ててそう答えると勢い良くその場を出ていった。



中年男性が通信室に戻ると通信士の一人が魔石通信機に向かいながら声を上げた。
「本部長!クルスさんから入電!現在『宝玉』を奪ったと思われる賊を追跡中。現在地。西、バークの森!この方角だと・・・ファーウェルのほうに向かわれるかと!!」
「よし、ファーウェルの支部に連絡!クルスには引き続き追跡を!!」
「了解!!」
「くっ・・・、なんとしても、なんとしても取り返さねば・・・!!あれだけは、あの『宝玉」だけは・・・!!」

「ハァ、ハァ、ハァ・・・・・」
息が上がった・・・。だからといって、今ここで逃すことはできない・・・!
栗色のショートヘアに付けられた金色の髪飾りが闇夜の森の中でキラキラと輝いている。
カーキ色のミニスカートにギルドの支給品であるジャケットとその下の白いシャツ。
そして手にはその細い体型には到底似つかわしくない2メートル以上もある戦斧が握られていた。
自分の視界の先、やや離れたところで黒い影が鋭い身のこなしで森の中を駆けて行く。
端正な彼女の顔が急に険しくなる。
−追いつけない・・・−
そう判断した彼女はおもむろに手を地面につけると、目を閉じ何言か呟くと前方の人影に向かって念を向ける。
そしてそれと同時に、彼女の周りでうっすらと輝く発光球が集まり出す。
「祖は大地、大いなる生命の母。生きとし生けるものの大樹なる緑光の息吹。我、地精霊の血を持って命ずる!クルス・ブラーエの名に置いて命ずる!!」
彼女の掌から光が漏れ始める。彼女、クルスはその輝きを地面に叩き込むと同時に魔術言語を発した。
「“グレイブ”!!」
地面が裂け、巨大な岩の楔が前方の影に猛スピードで迫る!
木々をなぎ倒しながら迫る大地の牙に、その影もとっさに跳躍しその魔術から身を遠ざけた。
だが・・・
「はあっ!!」
ブォン!!
もの凄いプレッシャーを感知し、その場で木を蹴り離れる。
その一瞬後に大きな戦斧が薙ぎ払われ、さっきまで自分が居た場所のすぐ後ろの木が真っ二つに斬られ、ゆっくりと倒れる。
影は地面に着地する。だが再び戦斧を掲げたクルスが自分目掛けて飛び降りてくるのが見えた。
「チッ・・・!」
なんとか回避。だが二度、三度と巨大な戦斧を振り回しクルスは攻撃の手を休めない。
影はとうとう樹木を背に戦斧を突きつけられた。
「観念しなさい。無駄な抵抗はやめて大人しく『宝玉』をこちらに返して貰いましょうか。」
クルスは凛とした声でそう告げる。毅然としたその態度はギルドというよりどちらかというと女教師の類にも見えるが。
そこでようやく、クルスは相手の姿をちゃんと確認できた。
自分より少し短い程度の銀髪。青く光る右目に対し何故か左目は珍しい赤色をしていた。
全身黒ずくめの服装。頑強そうなブーツにレザーグローブ。腰の皮ベルトからは一振りの長刀が下げられている。
「・・・精霊士、か・・・。珍しいな。ギルドの差し金か?」
「この状況でもそんな口が利けるんですね。」
その男はどう見てもまだ20代前半といったところで、クルスともほとんど変わらない年の頃に見えた。
だがその表情には熟練した戦士のような隙も油断もない物腰と目つき。
そして何より追いつめたはずの自分の方がたじろくような、静かな闘気・・・。
「貴方・・・、この現状からどうできると言うんですか?」
「どうとでもできるさ」
銀髪の男は抑揚のない声でそう冷淡に言い放つ。だが次の瞬間、男の足下が光り、陣が描かれたと思うと男の姿が光の中へ消える。
「い、移送法陣!?そんな、古代呪法をどうして・・・!ま、まさか、『宝玉』の『知識』を解いたとでも言うの!?」
転移して木の上に着地した男はその言葉にも応えない。
(まさか・・・あれはギルドの長老達でも長い年月を掛けてようやく2.3割を解読できたような代物なのに・・・)
男は驚愕に打ち震えるクルスを一別すると再び跳躍し、森を駆ける。
「あ、ま、待ちなさい!!」
慌ててクルスも戦斧を背負い後を追う。

それから、クルスはギルドに連絡を絶ち、賊共々消息を絶ったのであった・・・。

ここは誰もが夢と希望を追い求め集う街、ファーウェル。

多くの遺跡が眠り、それと同じ数の野望と夢が集まる。

そしてまた、もう一人、もう一人とこの地に足を踏み入れる。

そう、あたかもそれは、人々の飽くなき魂を呼び寄せる、プレリュードの如く・・・





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