「ラストソング」 〜第十四話 「王女誘拐」〜
盛大な舞踏会も深夜近くになると人気もまばらになりつつあった。
会場はいまだに煌びやかな照明やイルミネーションの光に照らされ、その輝きが周りの夜の闇を一層引き立たせている。
「さて、と。そろそろパーティーもお開きって雰囲気だな」
着慣れないタキシードのネクタイを乱暴に解きながらルシアが半ば欠伸を噛み殺しながら声を上げる。
「時間も時間だしな。見目麗しきご婦人方もほとんどいなくなっちまったし・・・もうここにいる意味無いじゃん? 俺」
「居てもどうせ相手にされないだろうが、この万年発情期が」
「なぬっ!? お前みたいなうだつの上がらない居候風情にとやかく言われる筋合いはふぎゃんっ!?」
居候、と口にした時点でロナードの頭頂部目掛けルシアの手刀が振り下ろされた。
「えっと・・・」
「ああ、気にしないでください。いつものことです。私なんかもう慣れちゃいましたよ」
ルシアとロナードのやり取りに戸惑いの表情を浮かべるクルスに対しキャリーはヒラヒラと手を振る。
「ああ、そう言えばカリンさんが言ってたけど、アガートさんもここに来てるらしいよ、確か」
「アガートがか? またあいつにゃ似合わねぇなあ・・・舞踏会なんて。何かコネでもあったのか?」
「人の事言えないだろ、ルシア」
「うきゅっ」
ほぼ同時に頷く二人の頭に同じくほぼ同時にルシアのチョップが振り下ろされる。
「ま、自覚はしてるけどよ。どうもこういうのは好きになれねぇんだよな・・・」
「自覚してんなら何で叩かれるんだよ・・・俺は」
「うきゅう・・・痛い」
頭を抑えながら非難の眼差しを送るロナードとキャリーにクルリと背を向け、ルシアは不意に表情を硬くし、クルスの隣で先ほどからずっと沈黙を保っている銀髪の青年に声をかける。
「なぁ・・・あんた。さっきの言葉、あれどういう意味だよ」
「・・・何がだ?」
ほとんど抑揚の無い声で銀髪の青年、ヴァイツが静かに唇を開く。
「『俺の知っているルシアじゃあない』ってやつだよ。あんた、何か知ってるのか? 俺のこと」
問いただすように言葉を重ねるルシア。だがヴァイツはと言えば相変わらず無関心そうに淡々と言葉を返すだけである。
「言葉どおりだ。同じ名前の奴は確かに知り合いにいた。だが君とは全くの別人だ。それにそいつはもうずっと昔に死んでいる」
「・・・そう、なのか・・・?」
「初対面の相手に嘘をつく理由は無いと思うが?」
「・・・ま、確かに」
ヒョイと肩をすくめルシアが軽く嘆息する。
「やれやれ、ちったぁ期待してたんだがな。ま、いいけどよ別に」
当てが外れたルシアはそのまま手持ち無沙汰にズボンのポケットに両手を突っ込み、天を見上げる。
「うきゅ・・・?」
そんなルシアの様子にキャリーはおずおずと手を伸ばし、ルシアのタキシードの裾を掴み軽く引っ張る。
「あんだよ。妙な心配すんなよ?」
「やっぱり・・・記憶が無いと不安なの?」
「・・・」
今までも何度か自分に過去の記憶が無いことについてキャリーに心配されているような節を感じたことはルシアも身に覚えがあった。だがここまでストレートに聞かれたのは今日が初めてである。
それほど、今の自分は不安そうに見えたのか・・・?
「不安じゃねぇ、って言えば嘘だろうけどな。そこまでビクビクもしてねぇよ。気にすんな」
キャリーの頭に手を置き、クシャクシャと撫でると言うよりは髪を乱すように撫でる。
「うきゅきゅきゅきゅっ」
頭を回されフラフラと揺れるキャリー。そんな二人のやり取りを黙って見ていた3人が口々に呟く。
「仲がいいんですね。お二人」
「兄妹みたい、とは思ったことはあったけど・・・玩具って感じにも見えるな、ありゃ」
「・・・っ」
不意にヴァイツがクルリと背を向け、そのままスタスタとルシアたちの輪から離れていく。
「あ、ちょ、ヴァイツさん?」
それに気づきクルスもいそいそとドレスの裾を持ち上げながら早足で後を追う。途中、ルシアたちを振り返り軽く一礼しながら
「すみません、またお会いしたらもっとゆっくりお話しましょう。では、私達はここで」
「ああっ! く、クルスさんっ!?」
そのままヴァイツを追い去っていくクルスの後姿に手を伸ばしロナードが気の抜けた声をあげる。
「忙しそうだな、やっぱりギルドの団員ってのは」
「あのヴァイツって人も思ったより怖くなかったね。もっとこう、魔獣みたいなイメージがあったよ」
と、両手で頭の上に指で角を作りジェスチャーするキャリーにルシアが半眼で呟く。
「それじゃバケモンだろうが。まるで人間じゃねぇみたいじゃないかよ」
「案外人間じゃなかったりしてな」
「まさか。魔族とでも言うのかよ」
キャリーとロナードの軽口にルシアもいつの間にかいつもの表情を取り戻していた。
「っしゅ!」
「大丈夫ですか? 流石に夜にもなると冷えますよね」
突然軽くクシャミをしたヴァイツにクルスが背後から声をかける。
「でも、ヴァイツさんのクシャミなんて、何か新鮮ですね」
「ほとんど人間と変わらないって言っただろ・・・。元々母親は人間なんだ」
軽く横目で振り返り、微かに不服そうな声を上げるヴァイツ。
「そうでしたね」
そう言いながらクルスの顔にはかすかに笑みが浮かんでいた。ヴァイツも特に何処に行くと言う訳もなく、ただ会場を歩き回っているだけのようだった。もっとも、元々二人の任務は舞踏会ホールの警備なのだから何の問題も無いのだが。
「・・・あの青年・・・ルシア・アルシオン、って言ったな・・・」
「? ええ、そうです。それが何か?」
「いや・・・」
そう言葉を切り、再び足を進める。クルスもそれにならい数歩後ろからついて行く。
「お知り合いじゃ無かったんでしょう? ルシアさんとは」
「・・・」
ヴァイツはクルスの言葉には答えなかった。
「ですからー。私だって何もこんな場で抜け出したりなんて考えませんよ」
「そういう問題ではないのです。舞踏会とは言え王族が民の前に無防備に出ると言う事はそれだけで大変な危険なのですぞ?」
パティの周りにはレガーシーを筆頭とした騎士団が数人で囲んでおり、キッチリとガードを固めていた。
シンクレルは戦争も無くこれと言った問題の無い国家ではあったが、それでも国を統治する王族に不満を抱くものが誰もいない訳もなく、ごく稀に王家支配制に反対する反王派がテロを起こすこともあるのだ。
「民の不安を拭うための催しとは言えども、万が一と言うこともあります。あの脱獄不可能と言われていたギルドの最厳重牢とて、ゼクロス・オルタネートの脱走を許してしまったのです。ここで姫様を狙う輩がいるか・・・」
舞踏会ホールの隅でレガーシーに捕まってからパティは延々とこの調子である。彼女としては食べ足りなかったし、アガートが来てくれたかどうかもこの目で確かめたかった。とは言えこの頑固者の老騎士団長に一度捕まれば抜け出すのはある意味最厳重牢から脱獄する事より困難かもしれない。
「うう・・・お願いですレガーシーさん。せめてもう少しこの物々しい警護を薄めていただけませんか? 流石にこれじゃあ息苦しいです」
「なりませぬ。つい先日ギルドであのような大事件があったのですぞ? 反王派が調子づいているやもしれぬのです。油断は決してできませぬ」
「あう・・・神様聖母様ハムスター大魔王様。どうして私は王女なんかに生まれてきてしまったのでしょうか?」
「何かおっしゃられましたか? 姫様」
「いいえ、レガーシーさんの空耳です」
ガックリと項垂れながらパティが力なく答える。
「姉さんがいれば・・・よかったのに」
ポツリと、本当に彼女にしては無意識に口から零れた言葉に、レガーシーがハッと息を呑む。
「・・・なんて事言っても仕方ないですよね。いない人のことをとやかく言っても」
「姫様・・・」
「平気ですよ。寂しくない、なんて言えば嘘になるけど、姉さんを恨んだりはしてませんから。ただ、元気で居てくれれば」
「・・・」
パティは明らかに消沈するレガーシーに明るく振舞う。事実、パティはレガーシーが思うほど女王候補の座を投げ姿を消した実姉に対して悪い感情は持っていなかった。元々姉を尊敬していたし、何より自分を可愛がってくれていた一番の人なのだから。
「今頃、何処で何をしてるんでしょうね・・・カタリナ姉さん」
「まあ、あの人のことです、何処ででも逞しく生きていらっしゃることでしょう」
「そうですよね。姉さんのことだもの、魔物を撲殺するぐらいの活躍はしてるかも」
本人が聞いたら怒られても仕方ない発言であるが、幸いにもその本人は今はこの場所にはいなかった。
「・・・カタリナ姫の例もあります。姫様により一層の束縛が招じるのも、どうかご理解ください」
「わかってますよ。それも。そりゃあ、私だって王女なんかじゃなかったら自由にこの世界を渡り歩きたいんですけどね」
「なら、その願いを叶えてやろうか?」
不意に、第3者の声。レガーシーが後ろを振り返るが、護衛の兵士達は一言も口を聞いていない。
「ただし、今度は俺らの束縛がつくけどな」
ヒュン、と風を切る音と共に黒い影が鋭くパティの足元を打つ。
「ひゃっ!」
「姫っ!!」
駆け寄ろうとするレガーシーに向かって、今度は数匹の蝙蝠のような魔獣が襲い掛かる。
「な、ナイトバット!?警備は一体何を・・・!!」
「無駄だぜ。いくら王族直属の騎士団とは言え、こいつらの催眠音波にゃ叶わないさ。不意をつけば尚更、な」
いつの間に姿を現したのか、黒い覆面をした数人の人影がレガーシーたちの前に立っていた。
「馬鹿な・・・。ナイトバットは魔界にしか住まない中級クラスの魔獣。人の手で飼いならせる訳が・・・!」
突然の出来事ということもあり、騎士団はナイトバットの群れにかなりの苦戦を強いられていた。
レガーシーは大剣を振るい、周囲を飛び交う黒い影達を切り払いパティに駆け寄ろうとする。
「っと、そうはいかねぇよ」
人影の先頭の男が手首を振るう、ヒュンと再び風切り音が鳴り、レガーシーの右足に鋭い鞭の一撃が叩き込まれた。
「むぅっ・・!」
「レガーシーさん!!」
「おっと、お姫様はこっちだ」
レガーシーに駆け寄ろうとしたパティを覆面の男が羽交い絞めにする。もう一人が素早く所から小さな布を取り出し、パティの口元に押し付けた。
「姫様っ!!」
「心配すんな、ただの睡眠薬さ。ま、この姫さんにはこれから働いてもらわなきゃならないんでな」
足をやられ身動きの取れないレガーシーを尻目に、男は肩にパティを担ぎ小さく手を上げ、合図を出すと素早くその場を立ち去っていく。用意周到、あまりにも鮮やかな犯行だった。
「姫様ぁぁっっ!!」
力の限り叫ぶレガーシー、必死に立とうとしても、思いの他傷は深いらしく足に力が入らない。
彼はナイトバットの群れを駆逐し終えた背後の部下達に声を張り上げる。
「他の部隊に援軍を要請しろ! ギルドの団員もこの会場に来ているはずだ。今すぐ、早急に姫様を救出に向かわせるのだっ!!」
突然の出来事。それから間もなくついさっきまで華やかなパーティーの場であった会場に、戦慄の知らせが走った。既に少なくなっていた客のどよめきと兵士達の叫びが響く中、黒服の男が人ごみを押しのけ、騎士団が対策を練る広場中央部テントに駆け込んできた。
「おい! 今の話は本当なのか!?」
アガートは右足に包帯を巻き、この当たり周辺の地図を広げ部下達と囲んでいたレガーシーを見つけるとにべもなく食いつく。
「貴様、ここは部外者以外・・・」
「お前は騎士団長だろ! それがついていながら、なんだこの様は!」
「・・・今回ばかりは、反論の余地も無い」
レガーシーは俯き、いきなりの乱入者に憤る部下達を宥める。
「・・・賊は姫様を誘拐し、クライムの森へと向かった。おそらくこの森に奴らのアジトがあると見て間違いないだろう」
レガーシーが地図で指差したのは、ちょうど王城の裏手にあるクライムの森と呼ばれる場所である。
「人の手がほとんど入っていない場所だ。足場も悪く馬も使い物にはなるまい。野生の魔獣も多い。・・・完全に騎士団対策を講じてきよった」
「だからと言って手をこまるいてる場合か? 騎士団がいかないなら、俺がいくぜ」
アガートがそのままきびすを返しテントを出ようとする。そこに背後からレガーシーが声をかけた。
「待て。アガート・ハーキュリー」
「なんだ、騎士団の面子云々なんて話なら・・・」
「シンクレル王家騎士団長として、頭を下げて頼む」
レガーシーが、テーブルに手を着き深々と頭を下げる。騎士団のトップが一介のトレジャーハンターに頭を下げるというのは、本来ならば大問題である。
「おい・・・お前・・・」
「面子などどうでもよい、処罰も何でも受けよう。だが、姫様を救える手立てがあるのなら。私はどんなことでもするつもりだ!」
「だ、団長・・・?」
たまらず、部下の一人が声を震わせる。他の団員達も今まで自分達の上司のこんな姿を見たのは初めてなのだろう。
「私は騎士団長失格だな。アガート、向かってくれ。姫様を・・・頼む」
再び、頭を下げるレガーシー。それに続き他の団員達も一人、二人、ついには全員がアガートに頭を下げた。
「・・・心得た」
小さく、視線を合わせずそう答えると、アガートはそのまま外へと飛び出していった。今度は振り返らずに。
「・・・我々も早急に捜査に向かうぞ。騎馬隊は馬の代わりにカーバンクルを。ギルドの魔術師とコンビを組んで森へと迎え。残りは広範囲から森へと突入。全力を持って捜索に当たれ!!」
『了解!!』
団員達が敬礼し、勢いよくそれぞれの任務へと走っていく。
そしてテントの中には、足を負傷したレガーシー一人となった。
「・・・姫・・・!」
テーブルに突っ伏し、頭を抱える。
騎士団長の自分だけが、何もできない。目の前で王女を誘拐されるとは、何度首を跳ねても拭えぬ失態だ。
彼が騎士団に入ってから20数年。このような事態は今までにも無い。ギルドの一件といい、ここ最近の王都に、一体何が起きているのか。
「・・・ねぇ、何の騒ぎ?」
ひょっこりと、テントの入り口から薄いブロンドのポニーテールが顔を見せる。胸元には金色のロザリオが光り、テントの中の薄暗い明かりに反射し、彼女の蒼眼を映し出す。
「あ、貴女は・・・・!?」
驚愕するレガーシーに、彼女、カリンは軽く小首をかしげてみせた。
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